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史跡巡り記
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【史跡巡り記】秋の名残を感じる東京史跡巡りの旅1|伝通院から高橋泥舟・山岡鉄舟旧宅跡までを巡る!

さくらつみ
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さくらつみ
さくらつみ

こんにちは、さくらつみです!

信州はすっかり冬に覆われている12月上旬。

秋の名残も去りかけた東京に、久々に日帰りで史跡巡りに行ってまいりました。

初めて訪れる【伝通院】【試衛館道場跡】といった新選組ゆかりの地をはじめ、旧中山道の面影を色濃く残す【巣鴨地蔵通り商店街】や【新選組のふるさと「日野」】への再訪をしてきました。

題して、「秋の名残を感じる東京史跡巡りの旅」。

第1回目の今回は、

史跡巡りポイント
  • 新選組の母体「浪士組」始まりの地【処静院跡・伝通院】へ初巡り
  • この人が居なければ新選組は存在しなかった?清河八郎の墓参も
  • 晩年を過ごした徳川慶喜を想う【徳川慶喜終焉の地】
  • 高橋泥舟・山岡鉄舟が暮らしていたかも!【高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡】

こんなところに注目しつつ、道中目に付いた史跡にも触れていきます。

私と一緒に、江戸時代の歴史を色濃く残す小石川を存分に巡って行きましょう!

スタート 9:00

後楽園駅から史跡巡りスタート!

東京駅から東京メトロ・丸の内線に揺られること約10分。

文京区小石川にある【伝通院・処静院跡】の最寄り駅、丸の内線「後楽園駅」に到着しました。

8番出口から【伝通院・処静院跡】までは徒歩10分ほどの道のり。

まずは千住通りからえんま通り商店街を北上していきます。

善光寺坂

商店街のアーケードを抜けて「柳町仲通り」の向かいの道を左折。

善光寺坂を上がって行きます。

善光寺坂の途中には、伝通院の標識が出ているので迷わず進めて安心

月参堂 緑受院 善光寺

緩やかな坂道を上がっていくと、正面に突き当たる【月参堂 緑受院 善光寺】。

善光寺の門前に設置された「善光寺」や「善光寺坂」の由来書き。

伝通院の塔頭寺院で、徳川家康公の母・於大の方の念持仏を本尊として、慶長7年〔1802〕に開創されたお寺です。

塔頭(たっちゅう)

大寺院の敷地内にある小寺院

於大の方の念持仏こそが、信州長野・善光寺の御分身である一光三尊阿弥陀如来像

それが縁となり、元々の寺名・緑受院から、明治に入り「月参堂 緑受院 善光寺」と改められました。(参考:月参堂善光寺公式サイト

ふりゅー
ふりゅー

長野の善光寺と言えば、学生時代に二年参りしたことあるって言ってたよね、お姉ちゃん

さくらつみ
さくらつみ

う・・・、行列と寒さでお参りどころじゃななかったんだから。思い出させないでよ

光寺坂のムクノキ

善光寺を右手に坂を上がって行きます。

坂道にはイチョウの葉が黄色い絨毯を作っていて、とっても綺麗。

坂の途中、道の左手に現われる、文京区指定天然記念物の【善光寺坂のムクノキ】。

江戸時代には伝通院の境内にあったもので、伝通院の鎮守「澤蔵司(たくぞうす)稲荷」の神木として、現在に至っています。

推定樹齢は、なんと約400年!

第二次世界大戦中に空襲で樹木上部が焼けてしまいましたが、幹の南側は被害を感じさせないほど青々と茂っています。

ムクノキを通り過ぎて、今坂最大の傾斜を気合で上りきると、右手に伝通院の駐車場が広がっています。

うーん、イチョウの葉が目に眩しいぜ。

9:10

浪士組結成の地、【伝通院・処静院跡】

浪士組結成の地といえばお馴染み「伝通院」ですが、実際に集合の地として用いられたのは伝通院塔頭の1つ・処静院(しょじょういん)でした。

伝通院の山門横に設置された案内板と石柱。

残念ながら処静院は火災で焼失してしまい、現在は伝通院の山門付近に石柱と案内板が建っています。

実際に処静院が建っていた付近には解説板も設置されているので、新選組ファンにとってはありがたい。

墓所の外塀には処静院跡の解説板も設置されているので、お見逃しなく!

伝通院の墓地には、浪士組結成の立役者・清河八郎のお墓もありますでの、見どころ満載スポットなんですよ!

墓所に案内板が設置されていなかったので、5分くらい彷徨いようやく清河八郎さんのお墓参りができました・・・。

こちらの史跡を詳しく紹介しています!

旧同心町

【伝通院・処静院跡】から【徳川慶喜終焉の地】へ向かいます。

春日通経由で徒歩約10分

春日通りを歩いていると、道沿いに「旧町名案内」を見かけました。

春日通りに接するこの一帯は、幕府の先手組(さきてぐみ)の同心屋敷があったので、俗に「同心町」と呼ばれていました。

先手組は組頭の下に与力・同心で組織され、弓組と鉄砲組がありました

さくらつみ
さくらつみ

先手組?どんな役割を担っていたんだろ

ふりゅー
ふりゅー

将軍出陣の時はその先鋒。平時は江戸城本願の門を警備したり、将軍参詣の外出時にはその警衛をしていたんだって

10:00

徳川慶喜終焉の地

徳川慶喜終焉の地は、現在「国際仏教大学院大学」の敷地となっています。

大学前に案内板が立つ他、当時を偲べる物として、慶喜邸の庭に植えられていたイチョウの木が残されています

大学の門が開いていたから、チョロっとお邪魔して拝見させてもらったよ

さくらつみ
さくらつみ

休日、かつ早朝だったからか、大学内に人の気配は全くありませんでした。

訪ねた時期が初冬だったので、さすがに枯れ木になっていました。

ちょっと残念。

年月を感じさせる、立派な大木です。

徳川慶喜がこちらに越してきたのは昭和34年〔1901〕。

誕生の地である旧水戸藩屋敷から近いこの場所で、10年余りを過ごしました。

この史跡を詳しく紹介しています!

小石川には史跡が沢山ありますね、まだまだ歩きますよ!

次はさらに徒歩10分の所にある【高橋泥舟・山岡鉄舟旧宅跡】を目指します。

ふりゅー
ふりゅー

伝通院からト-タルで20分近く歩いてるけど、大丈夫?

さくらつみ
さくらつみ

あったぼーよ!日頃から鍛えてるからね!

10:20

攘夷派幕臣の居宅跡【山岡鉄舟・高橋泥舟居宅跡】

「播磨坂さくら並木」にある解説板。

高橋泥舟・山岡鉄舟旧宅跡の場所が示されています。

現在はマンションなどが立ち並んでいる場所に、かつて2人の家が並んで建っていたんですね。

実際に2人がこの場所で生活していたかは定かではないようですが、伝通院から近い距離にあることから、折柄に触れて訪ねていたのかな?と思ったり。

この史跡を詳しく紹介しています!

まとめ

ボリュームたっぷりでお届けした伝通院周辺の史跡巡りはここまで

今回巡った主な史跡
  • 処静院跡・伝通院
  • 清河八郎のお墓
  • 徳川慶喜終焉の地
  • 高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡

小石川エリアには史跡巡ラーにはたまらないスポットが沢山ありました。

ここまでガッツリ小石川を散策するのは初めてだったので、いろいろ発見があって楽しかったです。

また機会を作って巡りに来たいなぁ

さくらつみ
さくらつみ

江戸時代の史跡を堪能できる小石川。

新選組ファンはもちろん、江戸時代の史跡巡りに興味ある方はとっても楽しめるのではないでしょうか。

さて、史跡巡りはまだまだ続きますよ!

春日通りをひたすらに戻ること徒歩20分

都営大江戸線「春日駅」から電車に乗って「牛込柳町駅」に向かいます。

ふりゅー
ふりゅー

「牛込柳町駅」って、どこの最寄り駅なの?

さくらつみ
さくらつみ

牛込柳町と言えば、試衛館跡に決まってるじゃない!

次回は、【試衛館跡】からお届けしていきます!

この記事を書いた人
さくらつみ
さくらつみ
ブロガー
『信濃の国♪』歌えるタイプの信州人。1994年春生まれの戌年。自宅から徒歩5分の身近な史跡から、公共交通機関を駆使する遠方の史跡まで巡る、自称「史跡巡ラー」。新選組関連・長野県の史跡を中心に、「おすすめの史跡スポット」や「史跡巡りに関する情報」をゆるーく発信していきます。
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