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日常巡り

街道は「歴史の道」。歩く事こそ、最大の活用法!

さくらつみ

こんにちは、さくらつみです。

今回は地元で開かれた【旧北国街道講座】に参加してきました。

寒い時期は街道を訪ねるのもなかなか厳しいので、その分、温かな部屋でしっかりお勉強です。

講座の内容は、「旧北国街道を含む、長野県の街道について」。

1時間30分の講座をたっぷり拝聴してきましたので、早速、講座の振り返りをして行きます。

街道とは「歴史の道」だ!

古くから物・人の交流に使われた街道は「歴史の道」とも呼ばれています。

「道」と言いますが、陸路はもちろん水上交通路も含まれるんです

中山道は特に川越えが少ないのであまり気にしたことが無かったのですが、確かに、東海道は川越えがあったりしますもんね。

さらに、「歴史の道」は道のみならず、関連する史跡(関所・道標)や宿場町、そこに住む人々の文化も内包しているのです。

つまり、「歴史の道」を知ることは、その地域を知ることに繋がるのです!

長野県が取り組む「歴史の道」保護

江戸時代以前から連綿と育み、受け継がれてきた「歴史の道」。

誰かが「保護しよう」としなければ、風化したり、廃れていってしまいますよね。

旧北国街道や中山道が通る長野県でも、昭和34年〔1959〕に「文化財保護条例」が制定されてから先、積極的に保護に取り組んでいます。

例えば、その第一号が中山道の「御代田一里塚みよたいちりづか」。

写真は2024.5月頃撮影。御代田の一里塚には、現在桜の木が植えられている。
一里塚

江戸時代、日本橋を起点にして街道の一里(約4km)ごとに土を盛り、その上に木を植えて里程の印とした塚。
道の両側に向かい合わせに築かれ、木はエノキが原則だった。
(ジャパンナレッジ『日本国語大辞典』【一里塚】)

街道と言えば一里塚ですが、そのままの形で現存している物は案外少ないんです。

明治時代から盛んに行われた道路開発で、一里塚に盛られた土が利用されたため、壊されてしまった塚も多いんだとか。

「御代田一里塚」は一対の塚がそのまま残っていて、大変貴重なのです。

北国街道の一里塚としては、「馬瀬口一里塚」も現存していて、今でも見ることができます。

ちょうどこの頃から中山道整備も活発に行われたそうですが、場所によってはやぶか道か分からないような状態で、かなーり大変だったみたいですよ。

長野県の有名な宿場町

旅と言えば、重要なのが「お宿」。

現代でも旅行に行くとなれば、まず最初に検索するのが宿泊場所ですよね。

主要な街道が通る長野県にも多くの宿場町が形成されますが、現在でもその形や面影を残している場所はいくつもあります。

今回の講座でピックアップされていた旧北国街道の宿場町は3つ。

  • 海野うんの宿
  • 小諸こもろ宿
  • 芦田あしだ宿

現在でも昔ながらの宿場町の風景が楽しめることで有名な海野宿。

小諸宿は、旧小諸本陣が現存(2025年2月現在改修工事中)。脇本陣は宿泊施設となっているため、実際に今でも泊まることができるんです。(「脇本陣の宿・粂屋」公式サイト)。

宿場町の形は残らないものの、本陣が現存する芦田宿。本陣には今でも人が住んでいるんだとか。

どれもその貴重性から、街並みを保存する重要伝統的建造物群保存地区の選定(海野宿等)・建造物の重要文化財指定(旧小諸本陣等)・県宝指定(旧芦田本陣土屋家住宅等)になっています。

どこも巡ったことのない宿場ばかり。

さくらつみ
さくらつみ

うわー、これは是非とも巡ってみたい!

旧北国街道を利用した大名の参勤交代

旅人に利用される街道は、本国から江戸に参勤交代する大名たちも大いに利用しました。

旧北国街道を利用した大名家は14家。

その中で最も格式が高かったのは、「加賀前田家」です。

加賀藩

加賀国(現・石川県)金沢を藩庁とした藩。領主は内高約130万石の外様大名・前田氏。

(ジャパンナレッジ「国史大事典」【加賀藩】)

加賀前田家は外様藩ですからね、その行列も豪華そのもの。

約5000人もの行列を引き連れて旧北国街道を通っていたそうですよ。

明治天皇行幸

宿場町の石碑でよく見かける「明治天皇行幸の碑」。

そう、街道は明治天皇の巡行にも使われるんです。

長野県でも明治11年〔1878〕の北陸・東海道巡行の際に中山道・旧北国街道が利用されます。

軽井沢・追分宿まで中山道を行き、そこから分岐して旧北国街道を進み、現在の長野市・善光寺へと向かっていきました。

旧北国街道の宿場町が1つ、上田宿の上田街学校が宿泊で利用され、それを示す石碑が建っていましたね。

江戸時代は庶民と接する機会が皆無だった天皇様。

その歓待ぶりは尋常でなく、長野宿泊の際には天覧の花火まで打ち上げられたんだとか。

ちなみに、当時の行幸の様子は『長野県行政文書』で見ることができます。

万に一つ行幸に粗相があってはいけないと、各宿場などが事前にどのような体制で天皇様をお迎えするのか、びっちりと予定表を組んで渡していたんです。

中には、「休憩所のこの位置に明治天皇様にお座りいただく。こちらには右大臣・岩倉具視が座り、ここには参議・大隈重信に座ってもらい・・・」なんて、イラスト付きで細かく解説したものもあったそうですよ。

前代未聞の一代イベント。

お迎えする側の苦労が窺えますよね。

「街道歩き」について学ぶには?

街道歩きについて興味を持ったならば、まずは書籍から学んでみるのがオススメ。

私が最初に手に取ったのがこちらの1冊。

「街道歩きとは何なのか」から「実際の歩き方」まで、初歩から分かりやすく解説してくれています。

さいごに

今回の講座で教えてくださった櫻井先生曰く、「歴史の道は、歩くことが最大の活用」。

道は人と人、人と物を結ぶものですが、「歴史の道」は過去と現在を結ぶもの。

江戸時代から続く建物や風景といった文化財を見て、雰囲気を味わい、想いを馳せる。

それは宿場町に根ざした地域のこれからを考えることにも繋がっていきます。

一番寒さが厳しい2月。街道歩きにはまだまだ寒々しい季節です。

もう少し季節が巡って春の暖かさを感じられるようになったら、街道を歩きつつ宿場町を訪ねたいですね。

この記事を書いた人
さくらつみ
さくらつみ
ブロガー
『信濃の国♪』歌えるタイプの信州人。1994年生まれの戌年。自宅から徒歩5分の身近な史跡から、公共交通機関を駆使する遠方の史跡まで巡る、自称「史跡巡ラー」。史跡巡りの楽しさや、歴史の学びについてゆるーく発信していきます。
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