新選組のふるさと、日野を巡る|新選組ゆかりの地

2024.12月 東京史跡巡りの旅

新選組のふるさとは何処か?と聞かれれば、もちろん東京・日野です、と答えます。

土方歳三や井上源三郎といった新選組幹部たちが生まれ育ち、生活を送った地であるここ日野には、彼らの事跡を辿ることができる様々な史跡が存在します。

半日で巡りきるには時間が足りない!と悩んだ末、今回は行く場所を厳選。

井上源三郎の菩提寺「宝泉寺ほうせんじ」、企画展開催中の「新選組のふるさと歴史館」、天然理心流と関りの深い「八坂神社」の3ヶ所に絞り、新選組のふるさと日野を巡って行きます。

日野駅から宝泉寺へ

今回の出発地は「日野駅」。

ここから井上源三郎のお墓がある「宝泉寺ほうせんじ」へ、約5分ほど歩きます

日野駅の正面入り口。

やってきました日野!久しぶりだね日野!ここに来るといっつもテンションおかしくなっちゃう。

この人、約1年ぶりの再訪なんです。察してあげてください。

巣鴨駅から日野駅まで、山手線に乗って新宿駅経由で中央線に乗り換え、約1時間ほどかかりました。毎回思うけど、日野って地味に東京駅から遠いよなぁ。

幸い電車の中で座れたので、巣鴨で酷使した足の疲労はだいぶとれています。

元気を取り戻したのところで、早速目的地に出発したいところですが・・・。

新選組のふるさと日野。その本領たるや、駅に辿り着いた瞬間からすでに発揮されているのです

日野駅周辺の見どころ

日野宿イラストマップ。日野駅目の前の歩道に設置されている。

日野駅から出た瞬間、まず目の前に現れるのがこの「日野宿イラストマップ」。この手書き具合が可愛くて大好き。

これから向かう「宝泉寺」、右下にしっかり描かれています。予習は大事。よしよし、これで道に迷わず行けるわ。

地図をしっかり写真に収めてから、ようやく出発です。

日野駅を右手に直進すると、日野駅東口広場が現れます。そこにあるのが、これだ!

土方歳三没後150年記念に製作された、デザインマンホール。

土方歳三没後150年の節目であった令和元年〔2019〕に、土方歳三のプロモーションとして設置されたデザインマンホール

ゼロの部分にキリリとした土方さんのお顔が描かれています。

ひ、土方さん。会いたかった土方さん。土方歳三推しの全私が歓喜。相変わらずイケメンだよ、アンタ。

マンホール近くにある解説版。

デザインマンホールの近くのフェンスには、解説版が設置されています。

ちなみに、「マンホールカード」なるものが存在します。下水道事業PRのため、日本各地のマンホールのふたの図柄とその由来を紹介するコレクションカードで、令和元年8月7日から土方歳三が描かれたマンホールカードも配布開始されています

土日、休日は新選組のふるさと歴史館でも配布していると、日野市の公式サイトに記載がありました。

知らなかった・・・。次日野に来た時にまだ配布しているか聞いてみようかな。

「水の郷 日野」用水路マップ。傘が引っかけられている・・・。

デザインマンホールから少し離れたところに、日野用水の用水路マップが設置されています。

右下の方には、日野宿本陣や佐藤彦五郎資料館が描かれており、その近くにも用水路が通っていることが良く分かります。

周辺を何度が歩いたことがありますが、道沿いに深い用水路が走っていたことを思い出しました。生活を支える上で、重要な役割を担っているんですねぇ。

日野についてちょっぴり詳しくなったところで、ここから「宝泉寺」に向かって出発しましょう!

日野駅から歩いて2,3分程度の距離。「🚥日野駅東」まで歩けば、そこから宝泉寺の山門が顔を覗かせています。

井上源三郎が眠るお寺、宝泉寺

甲州街道沿いに建つ山門。宝泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。

宝泉寺ほうせんじに到着!

山門の奥には、立派な本堂がチラリと顔を覗かせています。

六脚ひのき造りの山門は、多数の檀家と近郊の有力者によって嘉永6年〔1853〕に建てられたもの。

今日はいくつかのお寺を廻ってきましたが、やっぱり山門もお寺によってだいぶ形が違うなーと改めて思いました

こちらの山門もまた、形が特徴的ですよね。山門の前部分に柱が出ていて、上の梁に彫られた獅子が前方をジィっと睨んでいます。

守り神的な感じか。ものすごく強そうに見える。

こちらの山門は嘉永6年〔1853〕に建てられたもので、経年変化特有の味のある色合い。170年以上もこの場所に建っているんですねぇ。

大きな時代の流れを感じつつ、そうっと山門をくぐり、お寺の境内に足を踏み入れます。

境内と本殿

山門をくぐると、その先には静寂に満ちた境内が広がっています。

時刻は15:00手前。

境内の中に人気はなく、なんだか外の世界と隔絶されたような感覚に陥ります。響くのは石畳を踏む自分の足音と、強めに吹く風の音だけ。

石畳を少し歩くと、左側にはお寺の詳細と由緒が書かれた解説版が建てられています。

如意山宝泉寺の縁起と由緒書き。

宝泉寺の開祖は鎌倉建長寺けんちょうじ(臨済宗建長寺派の本山)の曇芳同応どんぽうどうおう大和尚。

元徳元年〔1329〕に創立され、当初は日野字姥久保うばくぼ(現:新町)にありましたが、滝山合戦の際に焼き払われてしまい、現在の地に再建されました。

この宝泉寺には、井上源三郎の墓所の他、以下の見どころがあります。

  • 涅槃図(正徳年間)。市指定有形文化財。
  • 持ち上げ観音(天明8年)。
  • 金丸四郎兵衛(享保2年)墓所。(正徳4年の江島生島事件関係者)。

解説版から少し歩くと、鐘楼と涅槃図の解説版が建てられています。

紙本着色涅槃図の解説版。

鐘楼を撮り忘れるという失態・・・。大きくて立派な鐘が吊り下がっていました。

延享2年〔1745〕に建立されたもので、旧梵鐘ぼんしょうは戦中供出され、昭和40年に再建されます。

戦時中は金物をことごとく差し出したって話をよく聞きますが、お寺の鐘まで使ったんですねぇ。現代人の感覚的には、なんと罰当たりな・・・と思ってしまいますが。

鐘楼の右側には、立派な本堂が。

宝泉寺の本堂。平成13年〔2001〕5月に再建。

お寺の本堂のなんとドッシリとしたことか。

こちらの本堂は平成13年に再建されたもので、比較的新しいのです。そんな風にはとても見えないですよね。時を感じさせる色合い。

ちなみに、この本堂と客殿の間には「持ち上げ観音」が安置してあるとのこと。

持ち上げる時に感じる重さで吉凶を占う、36㎝ほどの馬頭観音の石像です。街道沿いでよく見る馬頭観音。結構重そうに見えるけど、持ち上げられるのかしら。本当に重さが違うのか試してみたい。

本堂の左奥に進み、墓所の方へ進んでいきます。まずは井上源三郎之碑を見に行きましょう!

井上源三郎之碑

墓所の手前、駐車場に面したところに井上源三郎の顕彰碑が設置されています。

新選組副長助勤 井上源三郎之碑。

顕彰碑の横では、井上源三郎資料館ののぼりが建てられ、風に煽られてゆらゆら。

文字がちょうど正面向くタイミングを写真に納めるべく、しばし格闘した戦果をご覧ください(笑)。

ちなみに私、まだ井上源三郎資料館をじっくり見学したことが無いのです。

一昨年、日野新選組ガイドの会主催のガイドツアーに参加した際、天然理心流の見学で道場の方にはお邪魔したんですけどね。その時は資料館を見る時間がなくて。今年こそ絶対に行かねば・・・!

碑の右隣には、「⇦井上家之墓」と井上源三郎のお墓を示す案内板があります。

その案内に従い、墓地の方へと進んでいきます。

井上源三郎のお墓

墓地の中には、井上源三郎のお墓を示す案内板が。

いくつもの墓石が立ち並ぶ中、井上源三郎のお墓がどのにあるのかを示す案内板があるので、迷わずに辿り着くことができました。ありがたい。

それでは、源さんにご挨拶しましょう。

井上家の墓石。

墓石には、お花がお供えしてありました。ご家族の方か、新選組ファンの方が来ているのでしょうか。

空手の自分を見つつ。なんか・・・本妙寺でも同じような光景を見た気がする。

さくらつみ
さくらつみ

こ、今度からはお線香くらい持って来よう

新たな決意は脇に置いておいて、とりあえず墓前で手を合わせます。

墓石の横には井上源三郎の墓碑が建てられている。ちょうどのぼりの陰になってしまった・・・。

区画の右側には、井上源三郎の墓碑が建てられており、戒名「誠願元中居士」が刻まれています。誠を願う、という言葉にグッとこみ上げるものが・・・。

墓碑の裏側には、井上源三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死した旨と、墓碑を建てた日付が書かれています。

左側には井上家の墓誌が置かれています。

ここには井上源三郎の名前はもちろん、八王子千人同心であった兄の松五郎、新選組隊士で源三郎の最期を看取った甥(松五郎の次男)の泰助の名前も書かれています。

井上源三郎は新選組の物語ではおじいちゃんで描かれたり、あまり表立って語られることのない人物ですが、顕彰碑やキレイに管理の行き届いたお墓を見ると、子孫の方や地元の人々からとても大事にされているんだなと感じます。

私の井上源三郎のイメージは、縁の下の力持ち。決して表立つことはないけれど、新選組という組織を形作るにあたって、絶対に必要な無くてはならない存在。

そんな井上源三郎さんの事を当時の人々は「無口で温和だけれど、一度こうと決めたらてこでも動かない、一徹な人だった」と評しています。

年上の源さん。土方さんや近藤さんも、何かと頼っていたんじゃないかなぁ。

想いを馳せつつ、無事お墓参りを終えた私。次の目的地「新選組のふるさと歴史館」を目指します。

如意山宝泉寺の詳細情報・地図

住所〒191-0011
東京都日野市日野本町3丁目6−9
アクセスJR中央線日野駅下車徒歩2分
関連サイト日野市観光協会公式サイト「宝泉寺
上記情報は、日野市観光協会公式サイトより引用。

新選組のふるさと歴史館

宝泉寺から新選組のふるさと歴史館へ

宝泉寺から歴史館へ、徒歩10分ほどの道のりです。

市役所通り」をひたすら直進するのですが、なかなかの勾配がある坂道。ゼェヒィ言いながら上がりきると、セブンイレブンの前に案内板が設置されています。

セブンイレブンの敷地手前に設置された案内板。新選組のふるさと歴史館はここを左折してすぐ。

も、もう少し・・・勝利への活路が見える・・・見えるぞぉ!

この案内板を目印に左の道に入って行くと、目的地に到着です。

日野市立新選組ふるさと歴史館、外観。

令和6年度特別展「甲州道中日野宿と本陣」

左側には、開催中の特別展ポスターが貼られている。

新選組ファンなら一度は訪れたい歴史館の1つ。それが日野市立新選組のふるさと歴史館です。

新選組時代の展示品はもちろん、甲州道中日野宿について、浪士組が江戸に帰参してから結成された新徴組についてなどなど。様々な展示品や解説が、所せましと並んでいるのです。

何時間でもいられますね、ハイ。

そんな魅力的な歴史館。来訪3度目となる今回は、令和6年10月26日から開催されている特別展「甲州道中日野宿と本陣」を見学しに参りました。

街道関係は今わりと自分の中でブームが来ているので、興味深々です。

「青のミブロ」の書き下ろしイラスト

館内の展示品は基本的に撮影禁止なのですが、今回、写真撮影可能な凄いものがロビーに飾られていました。

それがこちら。

ロビーに設置されていた「青のミブロ」書き下ろしイラスト。

今季放送しているアニメ「青のミブロ」の作者、安田剛士やすだつよし先生直筆の書き下ろしイラストです!

土方さん・・・ちょ・・・下まつげがセクシーすぎるのよアナタ。

こんな感じで、ポスターの横に置かれていました。

アニメは私も毎週楽しみに見ています。1話目の芹沢組の千手観音が忘れられずに未だにツボってる・・・。

新選組は様々な媒体で作品が出ていますが、描き手によって解釈が少しずつ異なるのが面白いですよね。だがしかし、どの作品でも共通して言えるのが、土方歳三はイケメンだということ。

土方さんの下マツ・・・いや、安田先生の美麗なイラストを思う存分撮影大会したところで、今回の本題、企画展を見学していきます。

企画展の感想

館内は撮影厳禁ですので、さらっと私のつたない感想をば、失礼して。

今回の企画展の目玉でもある日野宿。この本陣の建物が火事で焼失してしまい、建て直しが完了したのが元治元年〔1864〕。今年がちょうど建て直し完了から160年の節目ということで、今回この企画展が開催されています。

展示は二部構成で、第一部では日野宿を起点にした甲州道中の解説や当時の景観、日野宿の役割などが、当時の史料を用いて丁寧に解説してありました。

私的注目ポイントは、信濃国の3藩(高島・高遠・飯田)が甲州道中を利用して参勤交代していたこと。そして、旗本でありながら参勤交代をする「交代寄合」と呼ばれる特殊な立場の「信濃衆」という御家があったという点。

旗本で参勤交代ってホント!?と、一人でギョッとしてしまいました。これは調べてみたら面白そうかも。

さらに日野宿に関連する経済、政治、文化、剣術、そして幕末に起った様々な事件など。

宿場の人間視点で展開される出来事は、知っている事件でもハッとするような内容。日野宿本陣の名主であった佐藤彦五郎の日記からも、当時の苦労や時代の急変に翻弄される様がありありと見て取れました。

もちろん、新選組との関りもバッチリ解説してありましたよ!

第二部では、甲州道中に置かれた色々な「本陣」が紹介されていました。

個人的に面白いなーと思ったのは、他の本陣と日野宿本陣の建物の大きさや構造、坪数など比較して紹介している点。日野宿本陣の規模の大きさに驚きでした。

最後には近年行われた日野宿本陣の建造物調査についての解説も。

日野宿本陣にもまた行きたいなぁ。

常設展示も含めて、賞味1時間ほど展示を堪能。私の他に誰も居なかったので、一人で展示品を独り占めして存分に見学させていただきました。

1時間では足りないほどのボリュームでしたが、帰りの時間もあるので、あえなくタイムアウト。見ていたい気持ちを展示室から引きずり出し、何とか切り上げました。

ちなみに、展示室には企画展の解説リーフレットが置かれていたので、ありがたくいただいてきました。

今回の戦利品

史跡巡りを始めてから、資料館や歴史館に来たら、基本的に図録を買うようにしています

新選組のふるさと歴史館では常設展示の図録はもちろん、過去に開催した特別展の図録を含め、多数の刊行物が販売されています。郵送での購入も可能なので、興味のある方は公式サイトからご確認ください。

受付の方に伺ったところ、今回の特別展の図録も鋭意製作中とのこと。発売されたら是非入手して、リーフレットと合わせてじっくり読み返したいですね。

せっかくなので、今回は手元に無い図録をいくつか購入。

「特別展幕臣尊攘派」「特別展新選組誕生と清河八郎」「清河八郎著潜中紀事」いずれも新選組のふるさと歴史館で購入可能。
さくらつみ
さくらつみ

清河八郎に首ったけなのかな?

新選組関連は結構持っているので、清河さんについて書いた本が欲しくなったんです。

今回の史跡巡りで山岡鉄舟についても学んだので、彼についての図録も購入。

ズシッと重い図録を抱え、気持ちはウキウキルンルンで歴史館を後にしました。(流石に持って帰るのはキツイので、帰りに日野郵便局に立ち寄り、ゆうパックでお家へGoしてもらうことに)。

新選組のふるさと歴史館の詳細情報・地図

住所〒191-0016
東京都日野市神明4丁目16−1
開館時間9:30から17:00まで
入館は16:30まで
休館日◇毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)
◇年末年始(原則として12月29日から1月3日まで)
◇その他、展示替、館内整理のため休館することがあります
アクセス◇JR中央線「日野駅」から徒歩15分
◇京王バス「日02」系統
日野駅5番のりば(日野市役所経由)高幡不動駅行き「日野七小入口」
下車徒歩5分(乗車時間 約5分)
駐車場歴史館裏手に3台ございます。
満車の場合は、日野市役所駐車場(歴史館より徒歩5分)をご利用ください。
関連サイト日野市役所公式サイト「新選組のふるさと歴史館
上記情報は、日野市役所公式サイト「交通アクセス・利用案内」より引用。

八坂神社へ寄り道

歴史館を出ると、時刻は16:00を過ぎたところ。日もずいぶんと落ち、空の端が茜色に染まり始めています。この季節の日暮れの早いこと、早いこと。

今回の史跡巡りも、そろそろ終わりが近づいて来ています。楽しい時間は真夏のかき氷の如く、あっという間に溶けて消えてしまいますねぇ。

新選組のふるさと歴史館から日野駅までは徒歩15分ほど。来た時と同じで、「市役所前通り」を下って行きます。

帰り道の途中、日野駅近くの日野駅前郵便局に寄り、歴史館で買いこんだ図録をゆうパックに押し込んで窓口へ。この方法、以前史跡巡りのツアーに参加した折、他の参加者さんに教えてもらったんです。

いっつも図録だの書籍だの買い込み過ぎてしまうので、良い智恵を教えていただきました。感謝感謝!

郵便局の帰り道、せっかくなので「八坂神社」に立ち寄ることに。

天然理心流の奉納額

甲州街道に面して、八坂神社の鳥居が建っています。

八坂神社の鳥居。八坂社の篇額は有栖川宮二品熾仁親王揮毫。

八坂神社やさかじんじゃは日野の総鎮守。天然理心流とも非常に縁の深い神社です。

安政5年〔1858〕には日野宿の天然理心流門人が「天然理心流奉納額」を奉納しています。

八坂神社の入口に設置されている「天然理心流奉納額」の案内板。実物は現存するも、普段は非公開。

鳥居の近くには、奉納額の写真と解説版が設置されています。

奉納額には天然理心流の門人たち、25名の名前がズラリ。

近藤周助・勇親子や、先ほどお参りした井上源三郎・松五郎兄弟。土方歳三の義兄で日野宿本陣の名主・佐藤彦五郎や、沖田総司などなど。

翌年に正式入門する土方歳三の名前は、ここにはありません。

この奉納額は現存しますが、普段は非公開。しかし、毎年5月開催の「ひの新選組まつり」と9月第3土曜・日曜日開催の「八坂神社例大祭当日」のみ特別公開されています

私は現物をまだ見たことが無いんです。今年の「ひの新選組まつり」には是非とも乗り込みたい!

八坂神社の境内と本殿

鳥居をくぐると、すぐ横には八坂神社の解説版が。ちょっと字が剥げてしまっていて読みずらい。

鳥居脇にある八坂神社の解説版。

八坂神社は創立年代不明。古老が多摩川の淵から拾い上げた牛頭天王ごずてんのう像を勧請かんじょうし、祠を建てたのが始まりと言われています。

応永5年〔1393〕に普門寺ふもんじが開基され、牛頭天王社を管理するように。元亀元年〔1570〕に現在の場所に遷座せんざしました。600年以上の歴史を持つ神社です。

祭神は素戔嗚尊すさのおのみこと配祀はいし櫛御気野命くしみけぬのみこと大山咋命おおやまくいのみこと倉稲魂命うかのみたまのみこと

境内の右側にはたくさんの絵馬が掛けられていました。

新選組モチーフのだんだら模様が可愛い。美麗なイラストが書かれた絵馬が多く、見ていて楽しいです。

境内の右奥に進むと、本殿があります。

寛政12年〔1800〕に建造。彫刻の一部は明治3~5年に修理を経ている。昭和36年〔1961〕10月1日、日野市指定重要文化財に指定。

時間帯が遅いからか、本殿の正面扉は閉ざされていました。残念。

昨年こちらにお邪魔した時は正面扉が開いており、お参りできるようになっていました。

歴史のある神社なのに建物、結構キレイなんです。その訳は、本殿保護のために神明造りの覆屋がされているんだとか。

本殿の手前には八坂神社本殿の解説版と、「甲州道中分間延絵図」の複写が並んで設置されています。

「甲州道中分間延絵図」。

絵図には、牛頭天王社(現在の八坂神社)の名前と鳥居が描かれているのが分かります。

八坂神社本殿の解説版。

本殿は寛政12年〔1800〕に再築。

間口二間(4.06m)・奥行二間半(4.95m)・棟高五間(約9m)で、一間社々殿としてはかなり大規模。

総体にけやき白木による精緻な彫刻な施されている優美で華麗な社殿建築で、多摩地域における江戸時代後期の神社建築・装飾彫刻の粋を集めた建築作品として貴重なものです。

今度は本殿が開いている時間に来て、じっくり見たいですねぇ。

本殿の左隣には小さめの社殿があります。

本殿の隣にある社殿には、弁財天像と青面金剛像が祀られている。

外からだとイマイチ良く分からないのですが、中には「青面金剛像しょうめんこんごうぞう」と「弁財天像べんざいてんぞう」が祀られています。正面扉の左右には祀られている像についての解説書きが掲示されていました。

元禄14年〔1701〕に江ノ島より勧請。

弁財天像は江ノ島から勧請されてこちらに祀られています。

江ノ島へは去年の春ごろ行ったので、ここであの弁財天さまに会えるとは・・・!と、偶然の再会に驚き。はるばる日野へようこそ。

天文5年〔17400〕に庚申講中の人々に作られる。

お隣の青面金剛像。こちらは日野の庚申講中の人々によって作られたもの。

庚申については本日巣鴨の庚申塚を巡ってきたので、記憶に新しいですね。庚申塔によく彫られるのが青面金剛像なんです。

日野の町中でも、道路の端っこに「庚申の碑」が置かれている所をチラホラ見かけるので、庚申の信仰が定着していたんですねぇ。

八坂神社の御朱印

鳥居をくぐった正面、境内の左側には社務所があり、ここで御朱印などをいただけるようです。

本日はさすがに訪れた時間が遅かったので閉まっていました。

御朱印集め」というものに縁がないまま生きてきた私ですが、史跡巡りを始めてからなんとなーく気になっています。そのうち御朱印帳を買って、御朱印集め、始めるかもしれません(笑)。

15分ほど八坂神社の中を散策。暗くなってきたことも手伝って、この日はそのまま神社を後にしました。

八坂神社の詳細情報・地図

住所〒191-0011
東京都日野市日野本町3丁目14−12
アクセスJR中央線日野駅下車徒歩2分
例大祭9月第3土曜・日曜日
関連サイト日野市観光協会公式サイト「八坂神社
東京都神社庁公式サイト「八坂神社
上記情報は、日野市観光協会公式サイトより引用。

旅のおわり

八坂神社を巡り終わったところで、本日の史跡巡りの工程は全て終了。

時刻はすでに17:00を回り、周囲はすっかり暗くなってしまっています。日野駅から東京駅に戻り、新幹線で住処の長野に帰りました。

今回の史跡巡りの旅、いかがでしたでしょうか。

総時間数8時間ほどの東京史跡巡りの旅。歩き回りましたねー。2万歩は軽く歩いたんじゃないからしら。史跡巡りは健康維持にも一役買っていますね、確実に。

史跡巡りの様子を文章に書き起こすのは初めてでしたが、史跡巡りの楽しさ、多少なりとも伝わりましたか?(笑)。

少しでもこの楽しさを知ってもらえたらなーと思い、キーボードをカチャカチャやっている次第です。今回の旅の様子から、その一片ひとひらでも感じていただけたら本望、本望!

今後も最新の史跡巡りの様子はもちろん、今まで訪れた史跡巡りの様子も徐々に書いていこうと思っています。

一緒に史跡巡りをしている気分を味わってくださればうれしいですし、「自分も行ってみたいな」と思ってくだされば大歓迎。史跡巡りの沼へようこそ。

さて、今回の史跡巡りはここまで。

さくらつみ
さくらつみ

次の史跡巡りの旅でお会いしましょう!

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